よーつーもちブログ

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【日本の偉人 杉原千畝】センポ スギハラ 人道主義。

?「六千人の命のビザ」

杉原千畝(すぎはら ちうね)の
一人間としての行為は、決して誰しもができることでは無い。




偉大すぎる。本を読みながら
2回涙した。






先日、映画でも上映されたので、
知っている方も多いかもしれない。






?杉原千畝(ちうね)という人物が何をしたのか?



第二次大戦中、
外務省のリトアニアのカウナスにある
領事館領事代理として国の許可を押し切って、
ユダヤ人に日本へのビザを発行し続けた人である。




その功績は、あまり知られていなかったが
近年、あまねく知られるようになってきた。




第二次大戦という背景の中で
当時、ヒトラー率いるナチスにより
ユダヤ人はすべての権利を剥奪され、
逃げる場所さえ奪われた。



捕まれば、生きては返れないことを
皆知っていた。




かつて、日本はイタリア、ドイツと三国軍事同盟を結んでいた国家という立場にあった。




領事館前に押し寄せるユダヤ人を見て、
本来の人間の命は等しく尊いという感情と
日本国を代表する外務省の領事館領事代理という
極限の選択の間にいた。





そして、彼が選択したこと。



人道主義を貫く




ユダヤ人
一人ひとりにビザを書き続けるという選択



当時は、印刷機やコピー機は無い時代。
無論、一枚一枚手書きである。
寝食を忘れ、
ただただ領事館閉鎖されるまでの間、
一人でも多くの人の命を救うために
戦い続けた。




リトアニア、カウナスを去らなければならない日。
駅のホームには、沢山のユダヤ人が押し寄せたという。「ありがとう、絶対に忘れない」と
涙していた。
杉原千畝=チウネは、センポと呼ばれていた。





?杉原千畝の偉大さは、まだ続きがある。
閉鎖された領事館には、今後の滞在先の連絡先を書いて置いたという。





ビザを発行できなかった人に対して、
今後もなお、助けたいとの思いがあったのだ。


すごすぎる。






?わたしが思ったこと。




杉原千畝
前から名前は知っていた。
ある時、沢山の本を読む中で
パッと頭の中に浮かんだのが、杉原千畝だった。




自分でも理由は、わからない。




杉原千畝に触れなければならない程、強い思いだった。





本屋を回るが、なかなか杉原千畝の本に出会えない。焦った。早く触れたかったから。






図書館に行くと、ようやく出会えた。
嬉しくて、40分ほどで読んでしまった。






そして、2回涙をした。周りに人がいたので
恥ずかしかったが、隠せなかった。






歴史にIF(もしも、、、)は無いが
わたしは思った。
杉原千畝と同じ立場にいたら
わたしは、同じことができたのか?」






「己の危険を顧みず、目の前の人に尽くし抜いていく生き方。」

これが、
本来、
人にとって最も幸せになる道
であるとわたしは信じている。




「人は自分一人で、生きている訳では無い。」
「おれは、わたしは、人の力なんて借りたことは無い」と断言する人でさえ、絶対にそれはあり得ないのである。




自分で生きてるようで、
実は自分を取り巻くすべての人やモノ、自然に生かされている存在なのである。





だから、すべてのことに感謝できる
生き方をしたいと思った。


長文、ありがとうございました。

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